大洲領總鎮守 八幡神社 トップページ ›
 神社ブログ

遅くなりましたが、皆様、新年明けましておめでとうございます。

早いものでもう7日。松の内も終わりですね。当社でも七社参り用に残す門松を除き、正月飾りの取り外しを行いました。

大洲地方は、大晦日から2日にかけて雪、突風に見舞われましたが、皆様の地域ではいかがだったでしょうか。

当社でも、元旦の早朝より積雪に見舞われ、神社へと続く道路の雪かきに追われました。禰宜も初めて元旦の午前中を境内の外、作業着で過ごしました。

除雪作業中の道路で。いつの時代も子供は元気!

雪の中ご来社いただいたものの、車が坂を上れず多くの方が引き返されておりました。申し訳なさでいっぱいになりましたが、事故が起きなかったのがせめてもの救いでした。

2日目も雪だったものの、午後には雪も上がり晴れ間も見えるようになり、そして3日には快晴に。4日もさわやかな天気でした。

最初は困難な状況が続くも、徐々に快方に向かう-。現在の日本を象徴する新春ということでしょうか。

歳旦祭では、大洲の繁栄、ここに暮らす皆様方に災いが降りかかりません様願いを込めました。

本年が皆様にとって良き年となりますよう、御祈念申し上げます。

 

 


COMMENTS : (0) - TRACKBACKS : (0) - CATEGORY : 八幡神社からのお知らせ 

地元高校生による大絵馬奉納

12月26日、大洲高校美術部の一年生による、恒例の新春大絵馬奉納がありました。

今回で14年目を迎える大絵馬奉納ですが、年によって、猛々しいもの、やんわりしたものなど、イメージはがらっと変わります。

今年は、羊だけあって、優しい、ふんわりした絵馬に仕上がりました(隣は平成26年の絵馬)。うん、今年もいい!

当日、禰宜は不在でしたが、ケーブルテレビや新聞社の方に取材をいただいたようです。

良い思い出になってくれれば幸いです。

大洲高校美術部の皆さん、ありがとうございました!

 


COMMENTS : (0) - TRACKBACKS : (0) - CATEGORY : 八幡神社からのお知らせ 

新春7社詣で

連日寒い日が続いていますね。

境内も雨風の中、正月準備でてんてこ舞いです。

さて、来年1月11日(日)は、恒例の新春七社詣でが開催されます。

これは、大洲喜多総代会ならびに大洲喜多神社神職会が主催し、毎年大洲喜多地区の中から七社を選び巡るもので、地域ごとに参拝団が組織され、毎年約40団体、1000名が参拝されます。

七社は毎年変わるのですが、平成27年は当社がそのうちの1社に選ばれました。

現在皆様に喜んでいただこうと、総代さん方とお接待の準備を進めております。しし汁に甘酒、くずし、その他いろいろと用意しております。新春の開運招福、無病息災、家内安全祈願にぜひ御参拝ください。

(※写真は昨年の天満神社(田口)の様子)

お申し込みは、それぞれの地域で参拝団が開催されておりますので、それぞれの地域の神社の総代さんにお問い合わせされるのがよろしいかと思います。

ちなみに、当社で例年募集しております久米地区の参拝団は、当社開催となっても募集しております。お申し込み、問い合わせは当社社務所まで。

今年の七社は以下の通りです

粟島神社(大洲市北只)

宇都宮神社(大洲市菅田)

祇園神社(大洲市八多喜)

住吉神社(大洲市長浜)

鹿奈川三島神社(内子町大瀬南)

天神社(内子町知清)

⑦八幡神社(大洲市阿蔵:当社)

 

今年も素晴らしい神社ばかり。例年に比べ比較的境内近くまでバスが着けられる神社さんが多いので、お足が悪い方も行きやすいのではないかと思います。それぞれの神社様が工夫を凝らしたご接待をされますので、味比べなどするのも楽しいですよ。

皆様、新春七社参りにぜひご参加ください!

 

 

 


COMMENTS : (0) - TRACKBACKS : (0) - CATEGORY : 八幡神社からのお知らせ 

11月1日は当社の例大祭、翌2日は御神幸祭(お成り)です。

昨年も当社の御神幸祭(お成り)について解説させていただきましたが、今回も少しばかり紹介していきたいと思います。

<過去の記事>↓

八幡神社の御神幸祭(お成り) その①

八幡神社の御神幸祭(お成り) その②「七色の魚」

 

今回ご紹介するのは、行列の先駆を務め、“お成りの華”ともいわれる御長柄(おながえ)組の「御長柄」についてです。

「御長柄」は、文字通り長い柄のついた槍のことですが、材質は何でできていると思われますか?

実はなのです。大洲藩の御長柄は、竹ひごをいくつも束ねて長くし、その上に藤を巻いて作られています。このため、弾力性があり、担ぐとびよんびよんと跳ねます。しかし、決してやわらかすぎずしっかりとした硬さがあり、相手に的確に槍先を向けることができます。

御長柄について詳しいわけではありませんが、聞くとこのような材と方法で作られているのは珍しいのではないかとのこと。硬い木材でつくるよりこの方がが折れにくいということでしょうか。さすがは我が大洲藩!

 

そしてもう1つ。御長柄の槍先には、ふさふさした“槍の穂”がついています。いわゆる“槍先カバー”ですが、このふさふさは何の毛でできていると思いますか?

コレ、熊の毛なのです(現在は、その上にさらにカバーをつけているため見えず)。触ってみると、熊の毛のイメージそのままにごわごわしており、今でも獣のニオイがほんのりとします。

宮司の話では、宮司の祖父が「この槍の穂はその昔、平野 町の●●さんが●●したものじゃ」と言っていたとか(●●は不明)。平野の職人さんが作ったor修理したということなのか、それとも平野に現れた熊を●●さんが仕留め、その毛で作った、ということな のか・・・。まさかね・・・(^^;)

御長柄の槍先は現在は竹光に替えていますし、平成に入って修理し、漆を塗り替えて石突と呼ばれる柄尻の部分も新しいものに替えていますが、槍そのものは藩政時代当時のものが現役でがんばっております。

ちなみに、現在の石突と昔の石突の比較。

現在の石突

 

 

藩政時代の石突

 

今年のお成りは、御長柄組の独特の歩調だけでなく、こうした背景も踏まえた上でご覧になっていただけると、その魅力が増すのではないかなと考えております。どうか大勢の方にその勇姿をご覧になっていただければと存じます。

 

 

 


COMMENTS : (0) - TRACKBACKS : (0) - CATEGORY : 八幡神社と歴史 年中行事 

元禄十二年(1699) 奉納「六馬図」

 

今回ご紹介する絵馬は、中殿に奉掲されております、竹中主膳重矩奉納の「六馬図」です。こちらも幅5尺半(約166cm)以上の大きなものです。

奉納が、元禄十二年(1699)ですから、今から300年以上前。当社が再建された翌年のものであり、当社に現在掲げられている絵馬の中でも最も古いものの1つです。しかしながら、状態は非常に良く色もしっかり残っており、今でもすべての馬の仕草、顔がはっきりとわかります。

芦毛馬の銭形模様もしっかり残っています(画像クリックで拡大↓)。銭形模様周囲の微妙なグラデーションは、どんな技法で描かれたのでしょうか。

壁に多くの絵馬が奉掲されている当社では、朝の掃除の際、床に絵馬の彩色の一部が剥落していることがあり、本当に悲しい気持ちになるのですが、この絵馬だけはそれがありません。やはり、下地を塗らず絵馬板に直接描いてあるものは残りやすいですね。

奉納者の竹中主膳重矩については、残念ながら勉強不足のためはっきりしたことはわかりませんが、愛読させていただいていますブログ「大洲藩日記」さんによれば、竹中主膳家は、加藤光泰公の娘が嫁いだ親類衆であった、とのこと。

これから奉納に至った経緯など、詳しく調べていく必要がありそうです。

 

 

 

 

 


安永9年(1780年)奉納 加藤文麗画「白馬図」

めっきり秋らしい気候になってきましたね。

さて、今回取り上げる絵馬は、当HPの「由緒・歴史」でも取り上げています加藤文麗(ぶんれい)画の絵馬です。

加藤文麗は、宝永3年(1706年)生まれ。大洲藩3代藩主加藤泰恒の6男で、本名を加藤泰都(さと)といい、大叔父である加藤泰茂の養子となって家督を相続しました。寛延3年(1750)には、従五位下伊予守に叙せられています。この絵馬にも「伊豫守 藤原(藤原は姓。名字は加藤)泰都画」とあります↓(写真クリックで拡大)。

文麗は、歴代の大洲藩主同様に幼い頃から絵画に親しみ、その才能を発揮。狩野派の巨匠である法眼周信に師事し、その後、狩野派の画家としても活躍しました。関東南画の巨匠として知られる谷文晁の最初の師であった事実からも、その実力がわかります。この絵馬も馬や口取りを描く線がとても上品で印象的です。右の口取り?さんの表情が涼しげなのがいいですね。

この絵馬は、ご祈祷を行う中殿に掲げられているため、残念ながら通常参拝ではご覧いただくことはできませんが、ご祈祷でご来社いただいた際には、じっくりご覧になっていただければと思います。

 

 

 


COMMENTS : (0) - TRACKBACKS : (0) - CATEGORY : 八幡神社と歴史 

明治30年(1897)奉納 「日清戦争凱旋兵士 水禍之図」

前回は幕末に描かれた「大洲藩武成隊 奉納絵馬」を紹介いたしましたが、今回はその隣に掲げられている、明治30年奉納の「日清戦争凱旋兵士 水禍之図」をご紹介します。

吹き込む雨風などによってかなり色あせてしまっていますが、白壁の町並みに川と船、そしてその上に渡された板とたくさんの人らしき姿が見えるでしょうか↓(画像クリックで拡大)。

これは、明治27年に始まった日清戦争が終わり、明治29年6月、従軍していた大洲出身の将兵達が凱旋したときの様子を描いたものです。場所は、現在の肱川橋の少し上流あたり。当時の橋は浮かべた船の上に板を渡した浮き橋でした。橋を渡る凱旋兵士を出迎えようと数百人が一気に橋を渡りはじめたためにその重みでバランスが崩れ、多くの人が川に投げ出されてしまった様子が描かれています。私が昔話として聞いた話では、流れが速く大洲城下の淵あたりまで流された人もいたのだとか。

被害状況が気になるところですが、絵馬に書かれた解説文に「然れども一人の負傷も●ざりしは 実に不幸中の幸い(一部判読不能)」とあることから死者はおろかケガ人も出ずに済んだようです。戦火をくぐり抜けたのに、故郷に凱旋したとたんに悲劇が・・・なんて出来事でなくて本当によかった^^;

私(禰宜)が小さな頃(30~35年前)は、祖母や神社にいらっしゃる古老から何度が聞いた記憶がある話ですが、今はもう語る人もいなくなってしまいました。だからこそこの絵馬は、そのことを記す貴重な記録。地域の大切な財産としてしっかり守って参ります。

 

 

 

 


COMMENTS : (0) - TRACKBACKS : (0) - CATEGORY : 八幡神社と歴史 

当社の拝殿、中殿には多くの絵馬が奉掲されています。ご祈願等で中に入られた方は興味深く見て行かれるのですが、なかなかじっくりご覧いただくことも、ゆっくり説明することもできないのが実情です。

そこで、歴史資料の整理の意味も込め、当社に奉掲されている絵馬等について少しずつ紹介していきたいと思います。

 

 その① 大洲藩武成隊 奉納絵馬

当社の拝殿(一番手前の殿)に入って右手に掲げられているのが大洲藩武成隊奉納の絵馬。縦150cm,横220cmと巨大な絵馬です。

大洲藩武成隊とは、慶応三年(1867)に編成された、いわば藩の軍隊です。尊王派である大洲藩は討幕に加わり、王政復古の大号令後には、甲府城警備のために兵二小隊の派遣が下命されます。このときに編成されたのが武成隊でした。

甲府へと派遣された武成隊は、無事甲府警備を終えて東京まで戻ったものの、会津藩を中心として東北諸藩が朝廷に反旗を翻したため、急遽奥州に出張となります。海路よりより奥州平潟に上陸した武成隊は、薩長の軍に伍して平潟の征討に参加、輝かしい武勲をあげたといわれています。

この絵馬はこの時の戦況を記録して奉納されたもので、今泉のあたりに陣する攻撃部隊の陣屋の様子を描いています。幕に描かれた大洲藩の蛇の目の紋、見えますでしょうか?(下の写真クリックで拡大)

蛇の目の紋が描かれた陣幕、そしてその左下側(白い部分)にかろうじて「大洲」という字が残っています

 

また、絵馬の左右には、当時の戦況が記されています。

<武成隊の記(原文は漢文)>

征奥の役、我が軍長駆して仙台に逼(せま)る。八月二〇日黎明賊を破る。かつて舎を焼き従兵をもって我が諸砦を襲う。我が列藩各隊は憤戦激闘寅より酉に及び、遂に大いにこれに克つ。この日我が藩隊は駒嶺と今泉の際に在り。而(しか)して賊と興す。後、賊堅を辟き、其の封彊において以て抗戦す。我が亦(また)営を設けて、山谷之険に於て以て之にせまる。而して如正相生じ、虚実相伺い、賊と封営対峙する者殆ど四十日矣。賊勢尚熾(さかん)にして、我が軍皆一死報国を請(とな)え、毎戦連捷(しょう)、終に巣窟に入る。而して我が兵隊亦全軍を碍て凱歸(き)す。乃(すなわ)ち、此の図を写し、併せて顛末を叙し、以て祠前に献ず。実に明治戊申秋冬也。  仁井 鮮書

 

私が子どもの頃は、絵も文字ももっと鮮明に見えていたのですが、拝殿は吹きさらしということもあり、残念ながらだんだん劣化が進んでいます。将来的には拝殿に壁をつけていかねばと考えています。

 

 


COMMENTS : (0) - TRACKBACKS : (0) - CATEGORY : 八幡神社と歴史 

夏越祭

7月27日、夏越祭を執り行いました。

午前中は突然の雨に見まわれ、昨年に引き続き雨の中での夏越祭かと思われましたが、午後には止み、ちょうどよい気温の中斎行することができました。

夏越祭は、この半年のうちに知らず知らずのうちに身についてしまった罪穢れを祓い、清々しい気持ちで今年の後半を迎えるとともに無病息災を願う神事です。本年も久米地区を中心に多くの方にご参拝いただくことが出来ました。

神事の後の恒例の輪投げでは、定番の「草刈機」「一輪車」に加え、「自転車」や「扇風機」など今年も盛りだくさんの景品でした。なぜか、草刈機と一輪車は今年は一台も出ず・・・。特別難しくはしていないのですが・・・(^_^;)

おめでとう、妖怪ウォッチは君のものだ!

扇風機をゲット!

境内では、金魚すくいにスーパーボールすくい、わた菓子にかき氷、そしてジャンボシャボン玉作りと、昔ながらの屋台が並びました(すべて無料!)。これらの催し物はすべて当社の総代さん達が準備し、行っていただいています。今年も本当にお疲れ様でしたm(__)m。

当社が、こうした催し物にも力を入れるのは、地域の子どもたちに、ふるさとの氏神様のもとで家族や友達との楽しい思い出をつくってもらいたいとの想いからです。

子どもたちはいずれ巣立ち、大洲を離れる時がやってくるかもしれません。遠く故郷を思う時、幼い頃家族と出かけた当社でのお祭りのことを、家族の思い出とともに懐かしく思い出してもらえたらと考えております。

また、たとえ大洲以外の土地に根を下ろしたとしてもそこには必ず地域をお護りする神社があり、祭りがあります。子供の頃にそうした思い出があればきっと氏神様を大切にする大人になってくれることでしょう。そんな願いを込め、毎年頑張っております。

来年もまたお待ちしております!

 

 


COMMENTS : (3) - TRACKBACKS : (0) - CATEGORY : 年中行事 

ちびっこ奉仕団

いつもは静かな朝拝後の朝ですが、今朝はにぎやか。

境内に目をやると、十数人の子どもたちの姿。

近所の久米小学校の子どもたちが清掃奉仕に来てくれました。

毎年夏休みに入ると、ラジオ体操の後?に来てくれます。軍手をはめて一生懸命落ち葉を拾ってくれました。

やはり境内に子供の姿が見えると嬉しいものですね。

きっと神様も目を細められていたと思います。

27日の夏越祭も賑やかになるといいなあ。

 

 

 

 

 

 


COMMENTS : (0) - TRACKBACKS : (0) - CATEGORY : 禰宜より 
2 / 512345