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 平成28年度夏越祭
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平成28年度夏越祭

7月31日(日)、夏越祭を斎行致しました。

良い天気の中で執り行うことができ、大勢の方に御参拝頂きました。

17時半から神事を執り行い、参列者のこの半年間に知らず知らずのうちについた様々な罪穢れを祓い、氏子、崇敬者の無病息災を祈念いたしました。

当社の夏越祭では、拝殿で参拝した方には茅の輪守と輪投げ券を差し上げております。輪投げ券は3つの輪っかと交換でき、その輪で景品を狙います。今年の景品は、草刈り機に一輪車、アルミベンチといったおなじみの定番に加え、剪定用の電気バリカン、電気スライサー、ジューサー、扇風機、浴衣、アンパンマンや妖怪ウォッチのおもちゃ、獲れ立ての野菜や果物など盛りだくさん。皆さん、思い思いの商品を狙って一喜一憂し、大いに盛り上がりました。

また、境内では、金魚すくい、スーパーボールすくい、綿菓子、かき氷などの屋台が並び、シャボン玉コーナー、七夕コーナーなども賑わいました。屋台はすべて無料。暑さもあってかき氷も氷がなくなってしまいました。

来年はもっと研究し、さらに充実した夏祭りにしたいと思います。当社の夏祭りがよい思い出になってもらえたら幸いです。

最後になりますが、準備から、当日の運営、後片付けまでお力添えいただきました、総代、地区総代、地域の皆様、誠にありがとうございました。

 

<獲得した景品を見せてくれた皆さん>

去年は一輪車が当たったとか。強運!

難易度が上がった草刈り機も楽々ゲット!

扇風機、おめでとうございます!

高級ミキサーがあなたのウチに!

浴衣、花火大会にぜひ着て行ってくださいね

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職場体験の中学生来社

7月1日から3日間、市内の中学生が職場体験に来てくれました。

今年の生徒さんは中学2年生の女の子。ちょうど朔日(ついたち)参りの日でしたので、月次祭の様子を見学してもらった後、巫女服に着替え参拝の皆さんに抹茶とお菓子の御接待をしていただきました。

あいにくの天気でしたので、お参りの方もいつもより少なめで活躍の機会は多くなかったのですが、参拝の皆さんはとても喜んでおられました。初日ということで緊張した様子でしたが、皆さんの笑顔で少しばかりリラックスできた様子。

2日目からは、境内清掃やどんと焼きで行う火おこし体験、八幡神社の歴史についての授業を行いました。ちょっと詰め込みすぎたかな・・・(^^;)

生徒さんは、音楽が好きでクラリネットの腕前もかなり、ということで、3日間を通して、笙(しょう)や篳篥(ひちりき)、龍笛などの雅楽を体験してもらいました。いろいろな楽器を試した結果、彼女が選択したのは、篳篥。クラリネットと同じリード楽器です。

やはり飲み込みが早い!あっという間に音が出るようになり、譜面もすぐに読めるようになりました。最終日には、越殿楽(えてんらく)、そしておはなはんを合奏し、上達の早さに様子を見に来られた先生を驚かせておりました(^_^)v 。こ、これは、即戦力(゜Д゜)

神社での体験を通して、地域と神社の関係や、歴史、日本人が大切にしてきた自然観など、1つでも心の中に残ってくれれば嬉しいものです。

 

 

 

 


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さて、6回目となりました八幡神社絵馬の旅。今回ご紹介するのは、「源義光 足柄山ニテ笙ノ秘曲ヲ豊原時秋二授クルノ事」の図です。数十年前は拝殿の絵馬の裏に隠れるように掲げられておりましたが、倒れる危険ありとのことで取り外し、保管しておりました。

この絵馬は、13世紀前半に編さんされた「古今著聞集」に書かれた説話を絵馬に描いたもので、慶応3年(1867)に奉納されました。恐らく、公開するのははじめてではないでしょうか。

この絵馬に描かれた源義光(右側の赤い装束)は平安時代中期の武将で、射術に優れ、新羅明神の社前で元服したころから“新羅三郎”とも呼ばれ、雅楽の笙(しょう)の名人として名を馳せました。この絵馬でも笙を吹いているのがわかります。

義光の左側、月明かりの下で笙の音を聴いているのは豊原時秋 (とよはらのときあき)。豊原家は宮中の笙(しょう)の楽家で、時秋は若当主。時秋の亡き父、時元は笙の名人であり、時元の一番弟子が源義光でした。

さて、この絵馬にはどんな物語が描かれているのでしょうか。「古今著聞集」の話を要約すると・・・。

時は永保3年(1083)の後三年の役の頃。兄である源義家の加勢のため奥州にむかった義光のもとに、後ろから馬を飛ばして追いかけてくる若者がいます。それが豊原時秋でした。時秋を幼い頃からよく知っていた義光は大変驚き「これは一体どういうことか。何をしにこられたのか」と尋ねたところ、時秋はただ「お供させてください」と申し出ます。義光は、違和感を感じつつ、「連れて行ってあげたいのはやまやまですが、今回ばかりはなりません」と断ります。それもそのはず、今回の加勢は朝廷からの許しが出ず、自らの職を辞して馳せ参じるもの。若当主たる時秋を巻き込むわけにはいきません。

しかし、何度諭しても時秋は強情についてきます。そしてとうとうそのまま、現在の神奈川県にある足柄山にさしかかりました。この山の関所は厳しく、関所破りともなれば、もう京都に引き返すことは出来ません。義光は 時秋を 呼んでこう言いました。「ここまでついてこられたということはその志は浅からぬものがあったでしょう。しかし、貴方はやはりここから帰りなさい」。それで も、黙って時秋は帰ろうとしません。

楽家の若当主の助太刀という奇妙な申し出と時秋の真剣な表情を見ているうちに、義光はふとあることに気がつきます。

やおら義光は、周囲の人を遠ざけて時秋を連れて足柄山の山頂に行き、盾を2枚敷いて1枚に座り、もう1枚には時秋を座らせ言いました。

「笙を持っておられますね」

「はい」

時秋はそう言うと懐から笙を取りだし ました。義家は腰の矢入れから一枚の紙を取り出しました。「これは、あ なたの父上が書かれた大食調入調(たいしきちょうにっちょう)の譜です。さあ、お教えいたしましょう」。こ の秘曲は昔、義光が時元から伝授を受けたものでした。時元が亡くなったとき時秋はまだ子供でこの曲を教わっていませんでした。このことを知っていた時秋 は、豊原家の秘曲が絶えることを危惧し、この曲の伝授を受けるためにやって来たのでした。しかし、命を賭して奥州に向かうさ最中の義光に「秘曲を伝授して欲しい」などとは言えな かったのでしょう。義光が秘曲のことに気づいてくれない場合は、奥州で討ち死にする覚悟で付いて来たのだといわれています。そして月明かりの下、義光は時秋に入調の秘曲を授けたのでした。義光は、この若者の心がけに感心すると共に、笙の道に専念するように諭し、時秋を都に返しました。その後時秋は笙の第一人者として活躍し、雅楽頭(うたのかみ)、楽所別当となったといわれています。

改めて見てみると、命を賭した関所破りを前に、この秘曲を伝えることができることに安堵し、清々しく面持ちで笙を吹く源義光と、神妙な顔つきで耳を傾ける時秋の表情のコントラストが絶妙です。特に時秋の何とも言いがたい表情に惹きつけられますね。

話が長くなりましたが、この絵馬を描いたのは、新谷の玉井勝流稚継(閑林斎、洋々斎)です。稚継は、若宮養徳の嗣子若宮晴徳の門人として活躍しました。晩年は大洲領であった砥部で砥部焼の絵付けをしていたとか。

そして絵馬の裏には、当時の奉納者の方々の名が記されています。ご覧になった方で、御子孫や、この方々を知っておられる方がいらっしゃいましたら神社までご一報いただければ幸いです。

家の伝統を絶やさず守ろうとする若者の想い、しかしそれを自らは言い出さぬ奥ゆかしさ、懐に忍ばせた笙。そしてはからずとも肌身離さず亡き父の譜面を持ち続けた義光。この説話からは多くのことを感じ、学ぶことができます。 最近は、こうした昔の説話を聞くことがめっきりなくなりました。特に子供達には、こうした説話を通して日本の心を感じてもらいたいものです。

 

 


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鬼瓦よ再び

今年も早くも折り返し地点。半年に一度の大掃除月間を迎えました。

今日は、境内のとある場所の草引きと落ち葉掃除。保管してある瓦類を移動し、その周囲に詰まった落ち葉を掃き出します。

蛇の目の紋が入ったこの鬼瓦。約300年前のものですが、約25年前、屋根を銅板に葺き替えた際に下ろしました。長い間風雨にさらされ、欠けたりひび割れたりしているものも多く、針金でつなぎとめられていました。

状態の良い鬼瓦は特別な場所に保存し、割れたり欠けてしまっているものは、とある場所の軒下に集めて保管しています。すべて捨てずに保管してあるので、きっと完全に近い形になるはず。というわけで、パズルのように合わせてみると・・・

こんな感じでしょうか。下の葉っぱ等をモチーフにしたひらひらは「鰭(ひれ)」といいます。

裏側を見ると(右の写真)、軽量化と強度向上のためでしょうか。こんな構造になっています。それでも重い(笑)。

ちなみに、現在の鬼瓦はこちら↓。以前の形状そのままに銅板で忠実に再現しています。


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皆様、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

三が日は新年にふさわしい素晴らしい天気で、多くの方にご参拝頂きました。今年は曜日の関係で長めのお休みがとれたからか、都市部から帰省された方も多かったようにお見受けしました。厄除け祈願の住所が例年になくバラエティに富んでおりました(^^)。

また、想定以上のご参拝をいただいたため、一部の授与品が早い段階で無くなってしまうなど、ご迷惑をお掛けしました。来年はしっかり揃えるようにいたしますm(__)m

本年が皆様方にとって素晴らしい年になりますようご祈念申し上げます。

浦安の舞の奉納も行われた

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参拝啓発ポスター街を行く

県内の若手神職の会である「愛媛県神道青年会」では、毎年参拝啓発ポスターを製作しています。年末近くになると神社に貼られているのを目にされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

今回は、これを街に広げようと思い立ち、勝手連的に市内のあちこちに貼らせていただけないかお願いしてまわりました。ありがたいことに、皆さん快諾していただくことができました。さすが我が故郷。大洲の人はあったかいなぁ(^^)v

最近、正月飾りを飾るお家も少なくなり、年の瀬も「何か寂しいなあ」と思いませんか? いつかこのポスターが大洲の街のいたるところに貼られるようになり、年末のお決まりの風景になれば良いなあと思っています。

ご協力いただいた皆様、ありがとうございました!


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七五三

今日から3日間(15~17日)は、当社の七五三詣の日です。

それ以外の日もお受けしているのですが、通常は予約制。この3日間は予約なしでご祈祷をいたします。直前の天気予報は雨。寒さが予想されましたので、拝殿の周りに透明のシートを張って寒さ対策!ストーブに、ホットカーペットも完備でぽかぽか?です(^^)v

また、この3日間に七五三でご参拝いただいた方には、記念樹を差し上げています。ご神域で育った榊やモミジ、南天など、さまざまな木の苗木を用意しております。一番人気は南天かモミジでしょうか。南天は“難を転ずる”という縁起ものですし、モミジは定番ですよね。

皆さん楽しそうに選んでいただいて、嬉しい限りです。一生懸命育てた宮司も喜びます!今年は宮司の趣味で、「ピラカンサ」が初登場しましたが、今日のところは・・・お茶っぴきだったようです(笑)。

本日も笑顔の素晴らしいご家族が大勢ご参拝いただきました。お子様の健やかな成長をご祈念申し上げます。

明日・明後日も朝9時~17時の間受け付けております。

 

※了承を得た一部の方のみ掲載しています。


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遷御の儀

遷御の儀を迎える豊受大神宮(外宮)

 

10月2日、伊勢の神宮の皇大神宮(内宮)において遷御の儀が無事執り行われました。
当社でも午後8時より遥拝式を執り行いました。
今日5日には、豊受大神宮(外宮)での遷御の儀が執り行われます。

式年遷宮は、20年に一度、社殿・御装束・ご神宝を新しくすることで、『大御神のより新しい御光をいただき、日本の国の「イノチ」を新鮮にして、日本全体が若返り、永遠の発展を祈る』(式年遷宮広報本部公式サイトより)ものです。1300年以上の昔から同じものを造り替え続けてきたことで、大御神様の御威光を若々しく保つとともに、祖先の信仰や伝統を本来の姿のまま保ち続けることができたのです。

人類は「変わる(≒発展)」ことを選択し続けてきました。日本もその例外ではありません。しかし、最も大切な部分では「変わらない」ことを選択し、それを大切に守り続けてきたことは本当に素晴らしいことですよね。

忘れられないのは、明治天皇のエピソードです。

日露戦争のさなかの明治37年、5年後に行われる第57回の式年遷宮に向けて国をあげての準備が進められていました。しかし、遷宮の御用材の確保が年々難しくなっていました。例えば、御正殿の御扉は檜の一枚板で作られていましたが、それには樹齢900年前後の大木が必要です。その他の御用材も大木の確保に苦労していました。そこで当時の内務大臣と宮内大臣が参内し、神宮の建築様式を、古来の堀立洋式から、土台に礎石を置いてコンクリートで固める近代工法への変更案を上奏しました。これであれば「建物は200年持ち、その間に檜が育って御用材確保が容易になる」というのがその理由でした。

しかし、明治天皇はこれをお許しにはなりませんでした。侍従に「これは大変な間違いである。神宮はわが国固有の建築である。これを見て建国の古いことを知り、祖先があのような質素な建物で立ち居されたこともわかる。建国の姿を継承すべし」とその大切さをお説きになられたそうです。

さらに、「御扉も1枚板である必要はない。継ぎ合わせて形を整えればよい。材も檜に限らず他の木でも差し支えない。そうすれば大材が不足することはない」と語られたそうです。祖先の建築様式を守るということは、表面的な部分ではなくその精神を守っていくことである、ということをお示しになられたわけです。

明治天皇陛下は次のような御製(ぎょせい)を残されています。

いにしへの姿のままにあらためぬ
神のやしろぞたふとかりける


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蛇の目の紋が取り持つ縁

本日は、岐阜県岐阜市の「黒野城と加藤貞泰公研究会」の皆様が来社されました。

黒野城といえば、初代大洲藩主の加藤貞泰公が若き日に城主を務められています。そういった御縁で大洲史談会と交流があり、今回大洲へのご訪問となったそうです。

当社ご参拝の後は、加藤文麗(泰都)筆の絵馬や加藤泰済公奉献の絵馬をご覧いただき、加藤家の祖神が祀られている三祖神社をご案内させていただきました。

時間も限られており、十分なご案内はできませんでしたが、この蛇の目の紋が取り持つ縁を大切にして参りたいと思います。

実は、私も史談会会員ではあるのですが、ずっと出席しておりません・・・。しっかり出席して勉強せねば^^;


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本日の夏越祭について

いよいよ今日は夏越祭です。

あいにくの雨模様ですが、予定通り17時半より斎行いたします。

午後からは止んでくれると良いのですが・・・。

雨の場合は祭典は中殿、輪投げは拝殿で行います。

いつもの輪投げ会場より小さくなりますので、お目当ての商品が狙いやすいかもしれません(^o^)

 

先ほど、総代さん達に作って頂きました!

 


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