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 八幡神社の御神幸祭(お成り) その③「御長柄の秘密」
October2014

11月1日は当社の例大祭、翌2日は御神幸祭(お成り)です。

昨年も当社の御神幸祭(お成り)について解説させていただきましたが、今回も少しばかり紹介していきたいと思います。

<過去の記事>↓

八幡神社の御神幸祭(お成り) その①

八幡神社の御神幸祭(お成り) その②「七色の魚」

 

今回ご紹介するのは、行列の先駆を務め、“お成りの華”ともいわれる御長柄(おながえ)組の「御長柄」についてです。

「御長柄」は、文字通り長い柄のついた槍のことですが、材質は何でできていると思われますか?

実はなのです。大洲藩の御長柄は、竹ひごをいくつも束ねて長くし、その上に藤を巻いて作られています。このため、弾力性があり、担ぐとびよんびよんと跳ねます。しかし、決してやわらかすぎずしっかりとした硬さがあり、相手に的確に槍先を向けることができます。

御長柄について詳しいわけではありませんが、聞くとこのような材と方法で作られているのは珍しいのではないかとのこと。硬い木材でつくるよりこの方がが折れにくいということでしょうか。さすがは我が大洲藩!

 

そしてもう1つ。御長柄の槍先には、ふさふさした“槍の穂”がついています。いわゆる“槍先カバー”ですが、このふさふさは何の毛でできていると思いますか?

コレ、熊の毛なのです(現在は、その上にさらにカバーをつけているため見えず)。触ってみると、熊の毛のイメージそのままにごわごわしており、今でも獣のニオイがほんのりとします。

宮司の話では、宮司の祖父が「この槍の穂はその昔、平野 町の●●さんが●●したものじゃ」と言っていたとか(●●は不明)。平野の職人さんが作ったor修理したということなのか、それとも平野に現れた熊を●●さんが仕留め、その毛で作った、ということな のか・・・。まさかね・・・(^^;)

御長柄の槍先は現在は竹光に替えていますし、平成に入って修理し、漆を塗り替えて石突と呼ばれる柄尻の部分も新しいものに替えていますが、槍そのものは藩政時代当時のものが現役でがんばっております。

ちなみに、現在の石突と昔の石突の比較。

現在の石突

 

 

藩政時代の石突

 

今年のお成りは、御長柄組の独特の歩調だけでなく、こうした背景も踏まえた上でご覧になっていただけると、その魅力が増すのではないかなと考えております。どうか大勢の方にその勇姿をご覧になっていただければと存じます。

 

 

 


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元禄十二年(1699) 奉納「六馬図」

 

今回ご紹介する絵馬は、中殿に奉掲されております、竹中主膳重矩奉納の「六馬図」です。こちらも幅5尺半(約166cm)以上の大きなものです。

奉納が、元禄十二年(1699)ですから、今から300年以上前。当社が再建された翌年のものであり、当社に現在掲げられている絵馬の中でも最も古いものの1つです。しかしながら、状態は非常に良く色もしっかり残っており、今でもすべての馬の仕草、顔がはっきりとわかります。

芦毛馬の銭形模様もしっかり残っています(画像クリックで拡大↓)。銭形模様周囲の微妙なグラデーションは、どんな技法で描かれたのでしょうか。

壁に多くの絵馬が奉掲されている当社では、朝の掃除の際、床に絵馬の彩色の一部が剥落していることがあり、本当に悲しい気持ちになるのですが、この絵馬だけはそれがありません。やはり、下地を塗らず絵馬板に直接描いてあるものは残りやすいですね。

奉納者の竹中主膳重矩については、残念ながら勉強不足のためはっきりしたことはわかりませんが、愛読させていただいていますブログ「大洲藩日記」さんによれば、竹中主膳家は、加藤光泰公の娘が嫁いだ親類衆であった、とのこと。

これから奉納に至った経緯など、詳しく調べていく必要がありそうです。