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 八幡神社 絵馬の旅①「大洲藩武成隊 奉納絵馬」

当社の拝殿、中殿には多くの絵馬が奉掲されています。ご祈願等で中に入られた方は興味深く見て行かれるのですが、なかなかじっくりご覧いただくことも、ゆっくり説明することもできないのが実情です。

そこで、歴史資料の整理の意味も込め、当社に奉掲されている絵馬等について少しずつ紹介していきたいと思います。

 

 その① 大洲藩武成隊 奉納絵馬

当社の拝殿(一番手前の殿)に入って右手に掲げられているのが大洲藩武成隊奉納の絵馬。縦150cm,横220cmと巨大な絵馬です。

大洲藩武成隊とは、慶応三年(1867)に編成された、いわば藩の軍隊です。尊王派である大洲藩は討幕に加わり、王政復古の大号令後には、甲府城警備のために兵二小隊の派遣が下命されます。このときに編成されたのが武成隊でした。

甲府へと派遣された武成隊は、無事甲府警備を終えて東京まで戻ったものの、会津藩を中心として東北諸藩が朝廷に反旗を翻したため、急遽奥州に出張となります。海路よりより奥州平潟に上陸した武成隊は、薩長の軍に伍して平潟の征討に参加、輝かしい武勲をあげたといわれています。

この絵馬はこの時の戦況を記録して奉納されたもので、今泉のあたりに陣する攻撃部隊の陣屋の様子を描いています。幕に描かれた大洲藩の蛇の目の紋、見えますでしょうか?(下の写真クリックで拡大)

蛇の目の紋が描かれた陣幕、そしてその左下側(白い部分)にかろうじて「大洲」という字が残っています

 

また、絵馬の左右には、当時の戦況が記されています。

<武成隊の記(原文は漢文)>

征奥の役、我が軍長駆して仙台に逼(せま)る。八月二〇日黎明賊を破る。かつて舎を焼き従兵をもって我が諸砦を襲う。我が列藩各隊は憤戦激闘寅より酉に及び、遂に大いにこれに克つ。この日我が藩隊は駒嶺と今泉の際に在り。而(しか)して賊と興す。後、賊堅を辟き、其の封彊において以て抗戦す。我が亦(また)営を設けて、山谷之険に於て以て之にせまる。而して如正相生じ、虚実相伺い、賊と封営対峙する者殆ど四十日矣。賊勢尚熾(さかん)にして、我が軍皆一死報国を請(とな)え、毎戦連捷(しょう)、終に巣窟に入る。而して我が兵隊亦全軍を碍て凱歸(き)す。乃(すなわ)ち、此の図を写し、併せて顛末を叙し、以て祠前に献ず。実に明治戊申秋冬也。  仁井 鮮書

 

私が子どもの頃は、絵も文字ももっと鮮明に見えていたのですが、拝殿は吹きさらしということもあり、残念ながらだんだん劣化が進んでいます。将来的には拝殿に壁をつけていかねばと考えています。

 

 


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