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 遷御の儀

遷御の儀

遷御の儀を迎える豊受大神宮(外宮)

 

10月2日、伊勢の神宮の皇大神宮(内宮)において遷御の儀が無事執り行われました。
当社でも午後8時より遥拝式を執り行いました。
今日5日には、豊受大神宮(外宮)での遷御の儀が執り行われます。

式年遷宮は、20年に一度、社殿・御装束・ご神宝を新しくすることで、『大御神のより新しい御光をいただき、日本の国の「イノチ」を新鮮にして、日本全体が若返り、永遠の発展を祈る』(式年遷宮広報本部公式サイトより)ものです。1300年以上の昔から同じものを造り替え続けてきたことで、大御神様の御威光を若々しく保つとともに、祖先の信仰や伝統を本来の姿のまま保ち続けることができたのです。

人類は「変わる(≒発展)」ことを選択し続けてきました。日本もその例外ではありません。しかし、最も大切な部分では「変わらない」ことを選択し、それを大切に守り続けてきたことは本当に素晴らしいことですよね。

忘れられないのは、明治天皇のエピソードです。

日露戦争のさなかの明治37年、5年後に行われる第57回の式年遷宮に向けて国をあげての準備が進められていました。しかし、遷宮の御用材の確保が年々難しくなっていました。例えば、御正殿の御扉は檜の一枚板で作られていましたが、それには樹齢900年前後の大木が必要です。その他の御用材も大木の確保に苦労していました。そこで当時の内務大臣と宮内大臣が参内し、神宮の建築様式を、古来の堀立洋式から、土台に礎石を置いてコンクリートで固める近代工法への変更案を上奏しました。これであれば「建物は200年持ち、その間に檜が育って御用材確保が容易になる」というのがその理由でした。

しかし、明治天皇はこれをお許しにはなりませんでした。侍従に「これは大変な間違いである。神宮はわが国固有の建築である。これを見て建国の古いことを知り、祖先があのような質素な建物で立ち居されたこともわかる。建国の姿を継承すべし」とその大切さをお説きになられたそうです。

さらに、「御扉も1枚板である必要はない。継ぎ合わせて形を整えればよい。材も檜に限らず他の木でも差し支えない。そうすれば大材が不足することはない」と語られたそうです。祖先の建築様式を守るということは、表面的な部分ではなくその精神を守っていくことである、ということをお示しになられたわけです。

明治天皇陛下は次のような御製(ぎょせい)を残されています。

いにしへの姿のままにあらためぬ
神のやしろぞたふとかりける


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